何処かの誰かの長い独り言

長い長い独り言

敢えて語らない美学について

私が尊敬している病理医のY先生。ご自身も著書を何冊か出されていて、本を拝読させていただくまではインチキ臭さしかなかったのだが(失礼過ぎる)

かなり本気で病理医だったのでそれ以来Y先生がちょっとTwitterで迷言を連発している時は「先生疲れてんだろな」ぐらいに思って楽しむ事にしている。

その先生が「語らないことの美学」として非常に感銘を受けたという「殆ど東日本大震災関連の写真のみで、文章は殆どない」記事を見た。読むのではなく、感じるのである。

言葉というのは時に作品を薄っぺらにする事もある。わかる。今風に書くと「わかりみ」である。わかりみが過ぎるのだ。特に東日本大震災関連の作品(作品と呼ばせていただきたい)に言葉は要らないのだ。

私はドキュメンタリー番組などを好む人間なのだが、テレビのドキュメンタリー番組に無音というわけにもいかないだろうし、ドキュメンタリー番組は主に被災者の誰かを1人「主人公」にして「語る」ものである。

真のドキュメンタリーについて語ると長くなるのでやめておくが

言葉はなくても、その写真から声が、思いが、また撮影する側の感情が、伝わるのだ。これが敢えて言わない美学なのだと感慨深い思いを抱かざるを得なかった。

いつかはY先生に会ってみたいし、病理の話ではなくて「そういう話」をしてみたい。語らない美学。多くを語ればそれは独善的になったり、偽善者の戯言にもなりかねないのである。語れば語るほど見る側の感覚との乖離を引き起こす。

私のブログは昔から「語ってなんぼ」のものだし、ブログにただひたすら画像を貼っても、その前後のブログ記事が全てを台無しにするであろう。

だが、私にだって「敢えて語らない」事は存在する。いや「敢えて自己開示をしない」部分は沢山必要だ。読み手の思考の邪魔になる、混乱に繋がるような自己開示は避けたいのだ。

最近、とても良い曲に出会ったので時間のある時はその曲を聴いている。


平井堅 / 知らないんでしょう

某アイドルグループのセンターの女の子を題材にしたと言われている曲ではあるが、歌詞は沢山の言葉で構成されているわけでもない。とてもシンプルな歌詞構成で、それなのにグサグサと心に刺さる。

それ以上になると「中二病」でスルーされてしまいそうな曲だが、思春期以降の、特に「女性」にはわからないこともない曲である。私の性格は自分ではわからないのでよく他者から私という人間について訊いてみるという事をするのだが

裏表がない、思った事は口に出す、ねちっこさがない、人に対して真っ直ぐである、さっぱりとしている、うんうんと話を聞くよりも答えを導き出そうとしてしまいがち(男男しい部分があるのか…)

と、ざっくりこのように言われるが、そんな私ですら平井堅さんの「知らないんでしょう」は私にもグサグサと来るものがある。まるで自分の事のように、自己投影をしてしまいそうになる。

思春期から今までの間に内心こうだったのだろうし、今だって私にも裏表はある。そしてそれを相手に願わくば届けてしまいたい。そんな感情を代弁するかのように歌ってくれている。本来はタブー視されがちな、女子の心の深淵を垣間見るような歌詞なのだ。

そこに惹かれてしまう自分も相当闇深い人間だなと自覚はしているが、違う方面から見ればそれは「過去の自分自身」だったりするので、シンプルなだけに聴き手の受け取り方はそれぞれだろう。

また、本当にエグいほどスレた女の子の心の叫びは「ミオヤマザキ」さんだろう。きっとご本人もそれなりに闇深い。だが歌い手に闇深さを渇望している人は少なくないのだと思う。私は好きだ。不倫や浮気、本命にはなれない関係性、自分の抱える闇、タブー視されがちな事を音に乗せる。

歌というのは平均4分ほどの間に「物語」がある。いつもいつでも人が元気な歌に励まされているとは限らないものだ。同調できる、または同調されているように感じる、共感性をくすぐられると弱い。

私は不倫だけは反対派だが、自分がしないのであって、誰が不倫をしようとそれは個人の自由なのではないかと思うので、いちいち「モラルが欠如している」などと責める気持ちはないし、そんな世界もあるのだなと思う。共感はしないが。

だが世の中には不倫関係で円満に、円滑に日常に支障をきたさずにやっていける人、寧ろ不倫(婚外恋愛)をする事で配偶者との関係を維持している人がいる事も知っているだけに、世の中には色んなスタンダードが存在するのだなという気持ちもある。

ダラダラと長くなったのでこれで最後にするが「多くを語らない美学」と「秘密主義」は全くジャンルの違うものであることは忘れないようにしたい。秘密主義は結局のところ、あまり好まれない(私がまさにそれに該当する)

ただ、時々、多くを語らなくても伝わるジャンルという物に自分が該当した時は、それなりに見守って貰えるのだ。秘密主義もほどほどにしないと他者から邪推されて嫌われる。

「嫌われても平気な私の話」はまたいつか別の日に改めて書こうと思う。

今日はここまで。